パニック発作は、バスと電車を乗り継いで出かけたスーパーでの買い物の最中に起きた。

 死ぬんじゃないかと思うほどの恐怖に襲われた。過呼吸、激しい動悸、発狂するんじゃないかという恐怖、これで人生に幕が降りるんではという恐怖。

 救急病院に運ばれ一週間入院した。

暴力を振るわれた日の翌々日のことである。大きなショックを受け、この人はこれ程のことをする人だったのか!と打ちのめされ、自分がみじめでみじめで仕方がなかった。そして襲ったパニック発作

 家人は、仮面をつけて見舞いに駆け付けた。謝ったりなどの言葉は何もない。

 退院して、治ったと思った。誤算だった。家に帰ってからも壮絶なパニック発作は何度も訪れた。絶対的な恐怖と孤独の世界だった。いつ発作が来るやもしれぬという予期不安。辛いと発することのできない恐怖。不安を不安という言葉で表すことのできない恐怖。恐怖を恐怖という呼び名で表すことで恐怖を認めることになるという恐怖。自己不信。一秒たりとも安心の無い世界に私は落ちてしまったのだった。

 そのころ,ドメスティックバイオレンスという概念が世の中になかった。警察に通報するという選択肢はなかった。

 離婚など考えられる状態ではなかった。

不安、過緊張、鬱、恐怖、自己不信の状態はつつ”いた。どんどん痩せていった。精神科通いが始まった。早く歳とって死にたいと思った。お薬を飲んでもあまり効かなかった。かろうじて生きていた。

そして、私は三年ほど前に、精神科は精神の病を治せないという結論に達した。

当時通っていたクリニックの医師に言われたことがあった。「こんなに抗不安薬を飲んでいると依存症になるから減らしていくように」と言われ 少しずつ減らしていった。ゼロにした。そのうち、抗うつ薬もやめていこうと決意してこれも少しずつ減らし、やめた。

 薬をやめて一か月、眠れたし大丈夫だった。これで自分は治ったのだろうと思った。

 治ってはいなかった。